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宇都宮地方裁判所 昭和32年(ワ)158号 判決 1958年9月29日

原告 伊沢清治 外一名

被告 国 外一名

訴訟代理人 横山茂晴 外四名

主文

被告らは連帯して、原告伊沢清治に対し金五万円、原告伊沢シンに対し金五万円及び各これに対する昭和三十二年八月四日から完済まで年五分の割合による金員を支払うべし。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は五分しその一を被告ら、その四を原告らの各連帯負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分につき原告らにおいて、各金一万五千円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

第一、原告らの陳述

一、請求の趣旨

被告両名は連帯して原告清治に対し金五十一万七百四十五円及びこれに対する昭和三十二年八月四日(訴状送達の翌日)から完済まで年五分の割合による金員を、原告シンに対し金四十六万二千七百四十五円及びこれに対する昭和三十二年八月四日(訴状送達の翌日)から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二、請求の原因

(一)  被告英一は後記本件事故の発生した昭和三十二年一月二十三日当時、被告国の行政庁である建設省の管轄に属する関東四号国道工事々務所古河出張所に勤務し、自動車運転等の職責を有する国家公務員であり、被告国は被告英一の使用者である。

(二)  訴外伊沢晃一は昭和八年十二月七日被告清治を父、原告シンを母としその長男として原告らの肩書住所地で出生し、地元の新制中学校卒業後、昭和二十五年頃から昭和三十一年十月下旬頃まで上三川町明治農業協同組合に雇はれ、倉方として労働に従事し、日給四百五十円を得ていたが、将来における地位の安定と向上を考慮し同年十月二十五日右組合を辞し、翌二十六日から前記関東四号国道工事々務所古河出張所に職員として雇はれ、日給二百七十円を支給され、昭和三十二年一月二十三日本件事故により死亡するに至るまで道路工事等の職務に従事していた。なお晃一は死亡直前の昭和三十二年一月十九日山中キミと結婚し、婚姻の屈出を了したが、晃一の死亡後キミは他え再婚し現在に至つている。

(三)  被告英一は、昭和三十二年一月二十三日午後五時過頃、茨城県猿島郡総和村地先前記古河出張所直営の四号国道建設工事のため、同出張所管理にかかる普通貨物自動車(埼一--五〇二四号)の運転作業中、不注意にも人の乗車設備不完全極まる同自動車後部荷台上に前記伊沢晃一外二名を乗せ、総和村大字大堤より古河市に向け運転進行し、大字大堤字三耕地八〇〇番地先附近において、前方路面のコンクリート乾燥不充分のため道路左側約二十糎低位の未舗装路面に移行する際、時速二十粁の高速度のまま把手を左に切つて進行したため、不整地点の急激な通過と方向転換との同時敢行による車体の動揺により、後部荷台に乗りていた前記晃一を車体右側路上に転落させるとともに、右側後車輪で同人の頭部を轢過し、よつて同人を即死させた。

(四)被告英一は、右事故について業務上過失致死事件として起訴せられ、その結果昭和三十二年四月二十二日古河簡易裁判所で略式命令により罰金一万円に処せられ同命令は確定した。これによつても本件事故は被告英一の過失によることが明らかである。

(五)  以上のように伊沢晃一は被告英一の職務執行中の過失行為によつて傷害死亡させられたのであるから、これによつて被つた財産上及び精神上の損害につき行為者たる被告英一及びその使用者である被告国に対して夫々賠償を求める権利を得たのである。

(六)  伊沢晃一の被つた損害額は次のとおりである。

晃一は前記のように死亡当時国から支給されていた給料は一日金二百七十円であつたから、一ケ月の収入は稼働日数一ケ月平均二十五日として六千七百五十円となり、一ケ年間の総収入は八万一千円となる。晃一は死亡当時年令満二十三年一ケ月二十日の普通健康体の男性であつたから同人のなお生存し得べき推定期間は、昭和三十二年厚生省調査表によると四二・八三年である。したがつて晃一が右推定生存期間中に取得すべき総収入額は三百四十六万九千二百三十円となり、この金額から年五分の割合による中間利息をホフマン式で控除すると百十万四千三百二十二円となる。これが晃一の死亡による将来得べかりし利益の喪失額である。

しかし晃一の遺族は晃一の死亡により、国から国家公務員災害補償法に基く補償金として、二十五万三千三百四十円を得ているので、これを前記損害額から差引いた残額八十五万九百八十二円が、晃一の請求し得る財産上の損害額である。なお晃一は右財産上の損害のほか、精神上の損害についても被告らに対し賠償を求め得るは当然である。いまだ春秋に富む一生を無惨な死により葬り去られたのであるから、精神的に受けた打撃損害は、まことに計りがたいものがあり、何物をもつても補い得ないのであるが、他に方法がないのでせめて慰藉料を得て諦めるほかはない。その慰藉料額は四囲の状況を勘案して金四十万円が相当である。要するに晃一が本件事故によつて被つた財産上及び精神上の損害として被告らに賠償を求め得る金額は合計百二十五万九百八十二円である。

(七)  晃一の右請求権は同人の死亡により、その遺産として相続人である妻キミと両親である原告らが相続した。その相続分は妻キミが四分の二、原告らが各四分の一であるから原告らの相続額は各金三十一万二千七百四十五円五十銭である。

(八)  本件事故によつて晃一が上記の損害を被つたに、とどまらず両親である原告ら自身も財産上及び精神上の損害を被つた。まず原告清治は晃一の実父、世帯主、遺族責任者として晃一の埋葬式を行い、そのため四万八千円の費用を支出した。これは本件事故に基く晃一の死亡により原告清治の被つた財産上の損害である。次に原告らは晃一の実父母であり、共に老い先唯一のよるべとして頼りにしていた長男を忽如として無惨な死により失つたもので、その受けた精神的打撃は言語に絶するものがある。その損害は何物をもつてしても償い得ないものであるが、せめて慰藉料を得てその損害の幾分なりとも償つて諦めるほかはない。その慰藉料の額は原告ら各自に金十五万円を以て相当と思料する。

(九)  よつて被告らに対し

原告清治は(イ)晃一の賠償請求権の相続分 三一二、七四五円

(ロ)自身の慰藉料       一五〇、〇〇〇

(ハ)埋葬費           四八、〇〇〇

合計           五一〇、七四五

原告シンは(イ)晃一の賠償請求権の相続分 三一二、七四五円

(ロ)自身の慰藉料       一五〇、〇〇〇

合計           四六二、七四五

と各右金額に対する本件訴状送達の日の翌日たる昭和三十二年八月四日以降完済まで年五分の割合による損害金の連帯支払を求める。

第二、被告らの陳述

一、請求の趣旨に対して

「原告らの請求を棄却する、訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求める。

二、請求の原因に対する答弁

原告主張(一)は認める。

同上(二)のうち、伊沢晃一が昭和三十一年十月二十六日頃から関東四号国道工事々務所古河出張所に職員として雇はれ、日給二七〇円の支給を受け、昭和三十二年一月二十三日本件事故により死亡するまで道路工事等の職務に従事していたこと及び同人が同年一月十九日山中キミと婚姻し、死亡当時同女を妻としていたことは認める。その余の事実は不知。

同上(三)のうち、伊沢晃一が昭和三十二年一月二十三日午後五時過頃、茨城県猿島郡総和村大字大堤字三耕地八〇〇番地先附近で被告英一の運転する普通貨物自動車(埼一--第五〇二四号)の荷台から落ち死亡したことは認める。ただしその事情は後記のとおりであつて被告英一の過失によるものではない。

同上(四)のうち、被告英一が本件事故のため業務上過失致死罪として略式命令で罰金一万円に処せられ、同命令の確定したことは認める。しかし被告英一が右略式命令に服したのは、道義的責任感から事態の紛きゆうを避けたい気持で、上司にはかることなくこの処置に出たものであつて、し細に当時の事情を検討すれば後記のように被告英一に過失はなかつたのである。

同上(五)以下は争う。なお被告国が国家公務員災害補償法にもとずいて伊沢晃一の遺族に給した補償金は遺族補償二十三万九千円、葬祭補償一万四千三百四十円、合計金二十五万三千三百四十円である。

三、被告らの主張

(一)本件事故発生当時の事情は次のとおりである。

被告英一は昭和三十二年一月二十三日午後五時半頃、茨城県猿島郡総和村大宇大堤所在関東四号国道工事事務所古河出張所大堤見張所で、現場監督高山清から、普通貨物自動車(埼一--第五〇二四号)を運転して古河市下山三丁目の右出張所へ赴き輾圧機に使用する薪を積み込むこと、その積込のため人夫を連れて行くことを命ぜられた。そこで被告英一は、右積込作業を希望した山口信義、斎藤均及び前記伊沢晃一を積込人夫として右貨物自動車の荷台に、ほかに事務員水沼幹雄を助手台に、乗車させて工事中の国道予定地を北進し古河市に向つたのであるが、自動車には構造上の欠陥または機能上の障害はなかつた。

この国道予定地は、昭和三十一年四月から四号国道新設のため着工したもので、一般の通行は禁止されていた。当時の工事状況は、前記大堤見張所から北方は道路の東半分に厚さ約二十糎のコンクリートが打つてあつたが、約百米以北は未乾燥のため通行不能であり、西半分は全く舗装されておらず、舗装部分より約二十糎低くなつていた。しかし通行のできる舗装部分の北端から南え約二十米に亘り摺付盛土(舗装部分から未舗装部分にかけ斜に盛土したもので、土砂運搬等の作業車の往来を容易にし、かつ舗装部分の欠損を防ぐための盛土)がしてあつた。

被告英一は当初東側の舗装部分を時速約二十粁で運転進行し、摺付盛土の箇所で西側(左側)の未舗装部分に移るため時速約十五・六粁にして把手を左にきつたが、その際、荷台上の山口斎藤の二人は坐つていたのに、伊沢晃一だけは荷台の右側前部に何にもつかまらないで立つていたため、荷台右前隅によろけ、側板に右手をついたが身体の動揺を防ぎきれず、遂に車外に転落した結果死亡したのである。

(二)  被告英一には過失はなく、過失は専ら伊沢晃一にある。

(イ) 晃一らを荷台に乗せたのは、前記のように薪を積み込むために必要があつたからであつて、違法ではなく、過失もない(道路交通収締法施行令第三八条二項、第三九条二項。)

(ロ) 次に速度については、本件の場所は一般の通行に供しておらないのであり、しかも本件事故発生場所も特に不整地というのではなく、動揺防止のため摺付盛土が施してあり未舗装部分も輾圧してほぼ平坦であつたのである。従つて時速二十粁ないし十五・六粁の程度は決して高速度ではない。

(ハ) 荷台に人を乗せた場合に、自動車運転者が荷台上の者に対して乗車位置、姿勢などを一々指示し、または転回等の際一々警告をする義務があるかどうかは一般的にはきめられない。すなわち荷台に初めて乗る老幼婦女における場合と、連日その附近で作業に従事して地形を熟知し作業の必要上しばしば荷台に乗ることのある壮年の男子の場合とを同一に考えることはできない。後者の場合には特別の事情のない限り運転者に指示ないし警告義務はないというべきで、本件はまさにこの場合にあたるから被告英一に注意義務違反はない。

本件事故は(一)に述べたような事情の下に発生したのであつて、もし晃一にして他の二人と同じように、荷台上に坐つているなどして注意を怠らなければ、本件事故発生の余地はなかつたのである。従つて本件事故は専ら晃一の不注意から生じたもので、被告らに賠償義務はない。

(三)  かりに被告英一にも何等かの過失があつたとしても、被害者たる晃一に過失のあることは前述のとおりであるから、過失相殺の規定により賠償額の算定について斟酌さるべきである。

なお被告らは、柄一の死亡に対して衷心哀悼の意を表し、その葬儀等については、誠意をもつてことにあたり、関係者一同で合計八千二百円の香奠のほか、花輪一、盛籠二、を仏前に供え死者の冥福を祈つたことも斟酌さるべきである。

第三、証拠関係<省略>

理由

一、被告国と被告英一との関係

被告英一が本件事故の生じた昭和三十二年一月二十三日当時被告国の行政庁である建設省の管下に属する関東四号国道工事事務所古河出張所に勤務し、自動車運転等の職責を有する国家公務員であり、したがつて被告国は被告英一の使用者たる関係にあつたことは当事者間に争がない。

二、本件事故の発生

昭和三十二年一月二十三日午後五時過頃、茨城県猿島郡総和村大字大堤字三耕地八〇〇番地先附近で、被告英一の運転する普通貨物自動車(埼--1第五〇二四号)の荷台に乗つていた伊沢晃一(昭和八年十二月七日生)が荷台から転落して死亡した

ことは当事者間に争がない。

成立に争のない甲第一乃至第五号証、第八、九、一〇号証、第一五号証、乙第一号証の一ないし一一、真正に成立したものと認められる甲第一一号証 証人菊地嘉、伊藤為一郎、斎藤均水沼幹雄、高山清、田村清次の各証言、現場検証の結果等を合はせ考えると、右事故発生当時の模様は大略次のようなものであることが認められる。

被告英一は昭和三十二年一月二十三日午後五時過頃、茨城県猿島郡総和村大字大堤所在関東四号国道工事事務所古河出張所大堤見張所(事故現場の南方約百米)で、現場監督高山清から前記貨物自動車を運転して古河市下山三丁目にある右工事事務所古河出張所に赴き輾圧機に使用する薪を右貨物自動車に積み込んでおくこと、その積込のため人夫を連れて行くことを命ぜられたので、当時右国道工事の作業に従事しておつた山口信義斎藤均及び前記伊沢晃一を積込人夫として右貨物自動車の荷台に乗せ、ほかに事務員水沼幹雄を助手台に乗せて、古河市に向つて工事中の道路を北に進んだ。この道路は未完成であつたので一般の通行は禁止されていた。そして当時の工事状況は、前記大堤見張所から北の方は道路の東半分に厚さ約二十糎のコンクリートが打つてあつたが、約百米以北はコンクリートが乾燥していないため通行ができない状態であり、また右道銘の四半分は全く舗装されておらず、東側の舗装部分よりも約二十糎低くなつていた。そこで東側の舗装部分から西側未舗装部分えの作業車の往来を容易にし、かつ舗装部分の損傷を防ぐため、通行可能の舗装部分の北端に近い場所に、舗装部分から未舗装部分にかげ貨物自動車一台が斜に通過できる程度の幅の摺付盛土がしてあつたが、そのあたりは、舗装部分と異り路面にでこぼこのあることを免れなかつた。ところで被告英一は荷台に乗つている者の位置姿勢などには留意することなく、当初東側の舗装部分を北に向つて時速約二十粁で前記貨物自動車を運転通行し、そのままの速度で石摺付盛土の箇所を斜に過ぎて西側(左側)の未舗装部分の路上に移行したのであるが、その際不整地点の通過と方向転換による車体の動揺のため、荷台の前部右側に立つていた前記伊沢晃一はよろめいて右側の側板に手をかけたが、上体を支えきれず、ついに車体の右側に転落した。これに驚いた同業者の斎藤均が「あつ」と叫んだので被告英一もすぐに急停車の措置を採つたが、右側後車輪で地上に転落した晃一の頭部を礫いた。そのため同人は右側頭部挫傷(約十五糎骨膜に達す)、左頭蓋骨々折及び左顔面形成骨紛砕骨折などの傷害のため即死したのである。なお右自動車の荷台に同乗していた他の二名は坐つていたので何の異状もなかつた。

以上の事実が認められる。被告本人塩野目英一の供述中、上記認定に反する部分は前掲証拠に照して採用できないし、他に 右の認定を動かすに足る証拠はない。

三、被告英一及び被害者伊沢晃一の過失有無

前段認定の事実関係からみると、本件事故が発生するに至つたのは、被害者晃一が貨物自動車の荷台の上に立つていたこと及び路面の不整地点通過の際に、車体がひどく動揺したことに原因するものと考えられる。およそ本件の場合のように貨物自動車の荷台に人を乗せ、しかも前記のような路面の不整な場所を通過するような際には、自動車運転手としては予め荷台に乗つている者の位置姿勢などに留意し、もし立つている者があるようなときは坐つて安全な姿勢を保つよう警告すべきである。たとえ荷台上の同乗者がその道路新設工事に従事している人夫であつて、そのあたりの様子を十分に知りつくしているからといつて右のような注意義務がないものということはできない。もしかような注意をしなかつたにしても、せめて前示のような場所を通過する際には、自動車の速度を極度にゆるめて車体の動揺をできるだけ緩和するようにつとめ、もつて本件のような事故の発生を未然に防止すべきである。被告英一が右のような注意を怠つたことは前段の認定に徴し明らかであるからして被告英一に過失がなかつたとはいえない。

しかしながら一方被害者伊沢晃一にも大きな不注意があつたものとしなければならない。すなわち後段認定のように同人は昭和三十一年十月下旬頃から、前記国道新設工事のために雇はれ、爾来その作業に従事していたのであるから、道路の状況などは十分に承知していたのに、漠然と荷台の上に立つたままの姿勢を続けていたのである。もし同人にして他の同業者と同じように荷台の上に坐つておればこうした不幸な事態は起らなかつたであろうことは、坐つていた他の二名に何の異状もなかつたことによつても明らかである。従つて本件事故の発生については被害者晃一にも重大な過失があつたものといはざるを得ない。

四、損害の有無及びその数額

(一)  晃一の被つた損害

(イ)  財産上の損害について

晃一が昭和三十一年十月二十六日頃から前記工事事務所古河出張所に雇はれ、爾来死亡当時まで四号国道新設工事の作業に従事し日給二百七十円を給せられていたこと及び同人が一昭和三十二年一月十九日山中キミと婚姻したことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第十五号証、原告本人伊沢清治の供述(第一回)及び弁論の全趣旨に徴すると、晃一は原告両名の長男として昭和八年十二月七日出生し、新制中学校を卒業して、十八才の頃から上三川町の明治農業協同組合に倉方として雇はれ労働に従事していたが、昭和三十一年十月二十六日頃に前記工事事務所に雇はれるに至つたもので普通の健康体であつたこと、晃一が右工事事務所に雇はれてからの一ケ月の稼動日数は平均二十五日で一ケ月の平均収入額六千七百五十円であり、その中から、同人の生活費小遣銭などを差引いて一ケ月平均三千円程度の余りがありたこと、なお晃一の妻キミは晃一の死亡後間もなく実家に帰り他え再婚したこと、以上の事実が認められる。そうすると晃一死亡当時の年令は満二十三年一ケ月二十日であつて、成立に争のない甲第十七号証によると、右年令の普通健康体男子が将来生存し得る推定期間四二・八三年であることが認められるから晃一の右推定生存期間中に得べかりし利益は、一ケ月の収入額から生活費等を控除した剰余金三千円、一ケ年三万六千円の四二・八三倍にあたる百五十四万一千八百八十円となり、この金額から年五分の割合による中間利息をホフマン式で控除すると金四十九万八百十円となる。これが晃一の得べかりし利益の喪失額にあたるわけである。原告は晃一の生活費等を計算に入れないで所得のすべてを得べかりし利益であるとするがこの主張は採用できない。

(ロ)  晃一の精神上の損害について

晃一は自動車から振り落された直後、後車輪に頭部を礫かれ即死したものであつて、もとより同人自ら慰藉料請求の意見を表示する余地のなかつたことは前記認定した事実関係からみて明らかである。かかる場合でも特段の事情のない限り被害者に自らの慰藉料を請求する意思があつたものと推測するのが相当であるにしても、本件の場合は晃一の大きな不注意が事故発生の決定的な原因となつていることは前認定のとおりであつて、かような特別な事情のある場合にも、なおかつ同人に慰藉料請求の意思があつたものと推測するのは相当でない。従つてこの点に関する原告の主張は理由がない。

(ハ)  国家公務員災害補償法にもとずく補償金について

伊沢晃一の遺族が同人の死亡により被告国から右法律の規定により合計金二十五万三千三百四十円の補償金を得たことは当事者間に争がなく、これを右補償法の規定と対照してみると、被告らの主張するとおり、右のうち二十三万九千円は同法第十五条の規定による平均給与額千日分(本件の場合は晃一の平均給与額を一日金二百三十九円として計算)の遺族補償であり、残りの一万四千三百四十円は同法第十八条の規定による平均給与額六十日分(計算の基礎は右と同様)の葬祭補償であることが認められる。そして右の遺族補償二十三万九千円は、原告らが晃一の被つた損害の賠償請求権を相続したとする本訴請求とその事由を同じくするものと認められるからして、被告国(したがつて被告英一)は右補償額の限度において損害賠償義務を免れるものというべきである(国家公務員災害補償法第五条)。

ところで本件事故発生に関する晃一の前示過失を斟酌するとき、晃一の被つた前記損害額について被告らには右遺族補償額以上の賠償義務はないものと認めるのが相当であるから晃一の被つた損害を基本とする原告らの請求は爾余の判断をまつまでもなく理由がない。

(ニ)  原告ら自身の被つた損害

(イ)  原告清治の財産上の損害(埋葬費)について

原告清治は晃一の葬式のため合計金四万八千円を支出したと主張するのであるが、原告清治が晃一の埋葬のためにどの程度の支出をしたか、その支出が果して通常これを必要とするものにあたるかどうかは原告清治の供述(第一、二回)だけではいまだこれを確認するに十分でなく、その他にこれを認めるに足る証拠はないが、仮に原告清治の主張するように金四万八千円を支出し、しかもそれが埋葬のために通常生ずべき費用であつたにしても、さきに認定したように被告国は晃一の葬祭補償としてすでに金一万四千三百四十円を支給したのであつて、晃一の前記過失を斟酌するとき、この点に関する損害賠償として被告らにこれ以上の損害を支払う義務はないものと認めるのが相当である。この点に関する原告清治の請求も理由がない。

(ロ)  原告らの慰藉料について

原告本人清治(第一回)の供述によると、原告らは晃一を頭としてその外に八人(女五人、男三人)の子供をもち、畑八反五畝(自作)田三反四畝(内小作九畝、他は自作)を耕作し宅地三百余坪住宅納屋等を所有する農家であることが認められる。原告らがそのもつとも頼みとする長男晃一を失つたことによつて被つた精神的な打撃はまことに大きなものがあると考えられ、被告らに相当の慰藉料を支払うべき義務があるものというべきである。晃一の前記過失その他諸般の事情を斟酌して慰藉料額は原告両名に対し各金五万円ずつをもつて相当と認める。原告らのこの点に関する請求は右の限度において理由ありとすべきである。

五  結論

以上の次第であるから原告らの本訴請求は、原告両名に各金五万円ずつ及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日たること記録上明らかな昭和三十二年八月四日以降完済まで年五分の割合による損害金の連帯支払を求める限度において正当としてこれを認容すべきもその余は失当として棄却すべきである。よつて訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 谷本仙一郎)

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